タカノ(鷹野)橋
その昔、西堂川という堀川がこの辺りを流れ、広島城の外堀につながっていた。
この川には鷹野橋、西堂橋などが浅野藩政の初めころから架けられていたが、明治の終わりに埋め立てられへ鷹野橋の名前だけが界わいの通り名として残った。
|
商店街の沿革
大正8年。この頃市内数か所に開設された公営(市営)市場の一つが、ここ西堂川の埋め立て地にもオープンした。消費者の人気は上々で、近くは大手、干田町界わいから、遠くは吉島、舟入方面からも多くの買物客が集まった。
人が集まればそこに街ができる。タカノ橋商店街の夜明けであった。
30年に及ぶ汗と努力の歴史は、原爆によって総べてがゼロとなった。しかし、地の利と地元商店街の熱意で復興は急ビッチに進んだ。
昭和21年8目こは、早くもタカノ橋公設市場が再開、翌年9目、バラック建ての小店30数店が南栄会を組織して復興への礎をつくった。それから5年後には殆んどの店が本建築を終え、街路灯の建設にも着手した。翌28年には顧客吸引のための映画館(タカノ橋東映)を誘致、娯楽の少ない当時としては大いに繁昌した。
|
峯本稲荷神社
峯本稲荷神社は、毛利氏が天正・文禄年代(1573〜1595年)領地 高田郡吉田村から遷宮、白神社のお旅所として二十六夜待の行事(陰暦7月26日、夜半の月を拝しながら舞踊・会食を伴う)を行い、爾来四百年神灯絶えることなく、浴衣の着おさめ祭りとして有名な二十六夜祭は脈絡として現代に至る。
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)は神威稜々四海を照らし、往古より商売繁盛、火難・疫病等厄除けの神として、広く世人の尊崇を集め、信ずるもの必ず神霊の加護を得る。
|
バタバタ祭り
(由来)
江戸時代宝歴八年(1758年)、広島城下最大の大火後、鷹野橋界隈(かいわい)に出現すると伝えられる正体不明の妖径が、婆多婆多(バタバタ)。宵の口を過ぎた頃、バタバタとムシロをたたくような音を立てるが、誰もその炎を見たものはない。
一説では、バタバタとは、小さな石に宿る妖精(ようせい)ともいわれる。
この石は、タカノ橋バタバタ祭りを始めるにあたり、伝説から掘り起こした「バタバタ石」を、「笑顔の出会う街・タカノ橋」発展のシンポルにと、商店街が設置したものです。
(バタバタ石ものがたり)
タカノ橘バタバタ祭りは、2百数十年前から伝わる妖怪・婆多婆多(バタバタ)が主役という、全国的にもきわめて珍しい、ユニークなものです。
伝説が今に息づく地域の祭りをスタートさせる中で、マンガ「バタバタ石ものがたり」が生まれました。
物語は、主人公の少年と、鷹狩り場で助けた雉(きじ)の化身(けしん)の少女が、可愛いい妖精になるというおとぎ話です。 この愛すべき「妖精バタバタ」が、タカノ橋商店街の新しいキヤラクターとして、祭りと共に成長し、街の繁栄につながることを願っています。
|